2007年3月14日 講義ライブラリー |
「LAPDの警察逮捕術師範になるまで」 |
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講師 |
倉本利夫 氏 |
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講師紹介と略歴 |
『プロフィール』 1969年 21才で越谷道院に入門。少林寺拳法を始める。
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講義内容 |
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LAPDの警察逮捕術師範になるまで
06年9月から逮捕術師範として、LAPD警察教官に、少林寺拳法の技を警察の逮捕術に合う様に研究、改善して提供、指導している。LAPDの陣容は、9000人の制服警官と3000人の事務官。それら警官に、射撃、武芸などを教える教官300人、SWAT60名に逮捕術を指導している。逮捕術師範として採用されるあたり、10名しかいないLAPDマスター教官の面前で、若いマッチョなマスター教官の一人と命を懸けて対戦しそれに勝った。それでLAPDも実力を認め、こんなに体格の小さな自分が採用された。 中学のときは番長で喧嘩が強かった。69年、21歳で少林寺拳法を始めた。アメリカに最初に来たのが72年だったが、1年半で挫折を味わって、一度日本に帰国した。77年に交通事故で臨死状態を体験。死んだ母親が意識の中に現れ、「生きろ」と励まされ、三途の川を渡らずによみがえった。その後、78年に2度目の渡米しそれ以来ずっとアメリカに在住している。 78年の渡米以来、両親のいない日本には帰れない、「アメリカで有名になりたい」という一心で、あらゆる機会を利用して少林寺の技を披露してまわった。知名度のない人間は相手にしてくれない広いアメリカで、有名になる秘訣はメディアを積極的に利用することである。98年12月に”Dragon Times”誌の表紙に初めて載ってから今まで、米国で発行されている3大マーシャルアート雑誌の表紙にはすべて登場した。特に、最大の“Black Belt”誌の表紙を飾ったあとからは、“Mr.Black Belt”と呼ばれるようになった。 武道家としてアメリカで成功した秘訣は、常に戦う精神を持ち続けること、とにかくトップに立つという気持ちを持ち続けること、あらゆる手段を使って自分の業界での知名度をあげること、そしてそれにもまして人のつながりを大切にすること。 アメリカ人の弟子とは、日本的な師弟関係とアメリカ的な友人関係をミックスさせて付き合ってきた。98年初めてマーシャルアート雑誌の表紙を飾ったときは、弟子であり友人でもあったNASA科学者がこの雑誌関係者に自分を紹介してくれたのがきっかけ。02年のBlack Belt誌の時も、97年に日本武道館で知り合ったアメリカ人ジャズミュージシャンが紹介してくれたから。 実力を認められて、そして人のつながりを大切にし続ければ、流派を超えた武道家同士の交流も可能になる。LAPDの教官のなかには、120マイルの道を毎週自分の道場に通ってくるものもいる。ウクライナやポーランドの警察から、自分を訪ねてくる武道教官たちもいる。 「武道」は世界に通じる日本の文化の一つである。そういう観点から、もう一度武道を見つめなおしてみたい。そして、ホワイトハウスのSPに逮捕術を教えるという夢がいつか実現するよう、今後も精進を続けたい。 |
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講義録担当:川口 |